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山口百恵の複雑な生い立ち

山口百恵の生い立ちを知っていますか?


昭和の歌姫、山口百恵の生い立ちは複雑だと、知っていますか?

あの電撃引退後も復帰を望む声が大きく、未だファンも多い山口百恵さん。

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ご主人である三浦友和さんはテレビドラマやCMなどでもご活躍中ですが、山口百恵さんは、第一線を退いてからというもの、ずっと沈黙を守っています。

そんな、昭和の歌姫、山口百恵さんの生い立ちは複雑だということを、知っていますか?

山口百恵、生い立ちの真相


山口百恵さんは1959年1月17日生まれの東京都出身。

父親には別に本妻がいて、山口百恵さんの母は本妻ではなかった…
愛人という立場だったという事みたいです。

そして、百恵さんには妹もいます。

山口百恵さんの父親は、百恵さんの家へ頻繁に通っていたようですが、本妻と離婚することはなかったようです。

「楽をさせてあげたい。」と、お金になる歌手という職業を選択するほど、母親思いの山口百恵さん。

そんな母親への愛情が深い分、本妻と別れない父親に憎悪の感情を抱いていたようです。

生い立ちについても書かれている自伝では、「私に父はいない。私はあの人の存在を認めない。」といった内容のことが記されているようです。

山口百恵さんが、スターになると、お父様は、事務所に勝手に借金をしたり、山口さんの親権を母親から奪おうとしたそうです。

それで、百恵さんは多額の手切れ金を渡し、父親と縁を切ったそうです。

美しくもどこか物悲しい表情が印象的だった山口百恵さんには、こんな内情の生い立ちがあったのですね。

だから、より一層、幸せな家庭を築く事は百恵さんの夢だったのかもしれません。
生い立ちによる影響はやはり色濃いものですね。


それを叶えた今、やはり芸能界復帰という可能性は低いように思います。

この記事もご覧ください
山口百恵の息子、次男は俳優の道へ



「父親を嫌う娘と言えば山口百恵を思い出す」
と言うひともいます。

「彼女の生い立ちも書かれている自伝を読んで父親に対するあまりの憎悪に気分が悪くなった」とも。

父親=あの人と呼び…

憎む気持ちはわからないではないけど、少なくとも母親が愛した人間。形はどうあれ...

実の父親の葬式にも出ない、もちろん墓参りにも行かない。

「現役の頃から、どこか冷酷でクールな表情に感じるものがあったけど人間としてどうかしら?

父親も褒められた人間ではないけれど、彼女も、結局は同じ」などと、言うひともいる。

憎悪から生まれるものは腐った感情だけしかない。

気付かずにいるのは不幸としか言いようがない…と。

複雑な生い立ちが彼女をそうさせたのであろうが…。

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山口百恵引退の理由は生い立ちにある?


昭和の伝説の歌姫、山口百恵さん。

人気絶頂の中、惜しまれつつ去り、その後も復帰を望む声が止まないにも関わらず、一切、表舞台には出ていません。

結婚というのが引退の理由でしたが、本当にそうなのでしょうか?

調べてみましたが、山口百恵さんの芸能活動期間は、たったの、わずか7年、しかも、あの世紀の結婚&引退時は21歳の若さでした。

昭和の時代と言えば、今より芸能界がヤ●ザの世界が色濃かったというイメージですが、そんな時代に稼ぎ頭の山口百恵さんが引退することを事務所が認めたのも、すごく納得がいかない気がします。

しかし、よ~く調べてみると、やはり芸能界引退の理由は結婚で間違いなく、事務所との不仲説もただの噂に過ぎなかったようです。

それを証拠に、引退後も山口百恵さんと所属していたホリプロの関係は良好で、三浦夫妻のバカンスの時などは、人目につかない場所などを事務所のスタッフが教えることもあったといいます。

また山口百恵さん自身「揉めたこともあったけど、一緒に仕事が出来て良かった。」と雑誌のインタビューで語っていたようです。

実際、百恵さんは、もともと芸能界に未練のないタイプだそうです。

歌手になったのも、複雑な生い立ちで、母や妹を楽させたくて、稼げる仕事だと思ったのが理由だそうです。

そして、十分稼いだので、めでたく寿退社となった、という事でしょうか。
やはり、芸能界復帰の可能性はかなり低いと思われます。

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生い立ちが複雑だった百恵さん


1973年にオーディション番組「スター誕生!」に出演したことがきっかけで芸能界デビューすることになったのですが、1980年11月19日に三浦友和と結婚して引退するまでは7年と本当に短かったけれど、物凄く印象に残る歌手・女優さんです。

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山口百恵の生い立ちは複雑で、父親には妻子が別に居たので、愛人の子という事になる。

母親と妹の3人で生活保護を受けながら育ったと自身のエッセイ「蒼い時」にも自身の生い立ちについて書いている。

複雑な生い立ちはもちろん、芸能人としての生活の裏面、そして、恋愛や性体験などが赤裸々に書かれていて、当時は物凄くセンセーショナルな自叙伝だったと記憶している。

実際、複雑な生い立ちも書かれている自伝『蒼い時』は、1980年9月に発売して12月には200万部を超える大ベストセラーになっています。

山口百恵は萩本欽一(欽ちゃん)の司会だったオーディション番組「スター誕生!」に出演したことがきっかけで、翌年映画「としごろ」に出演し同名の「としごろ」という曲で歌手デビューしたのです。

また、テレビドラマ赤いシリーズが百恵路線にぴったりのはまり役となり、当時、非常に高い人気を集め、高視聴率を維持し続け、6年にも及ぶ人気ドラマとなりました。

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1976年から阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品「横須賀ストーリー」を始め「プレイバックPart2」「さようならの向う側」など代表曲も多々あります。

映画「伊豆の踊り子」で三浦友和と共演したことがきっかけで結婚することになり、山口百恵の人気の絶頂期に引退となり、本当に惜しまれて芸能界を去った事は、国民の記憶に鮮明に残っている事でしょう。

結婚式は、1980年11月19日、百恵の父親役を数多く演じた宇津井健夫妻の仲人で行われました。

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その後は、家庭を守り子供、息子2人を育てて芸能化に復帰することなく、今では、長男は歌手(三浦祐太朗)として、次男は俳優(三浦貴大)として、三浦百恵と三浦友和の才能を受け継いで活躍しています。

この記事もご覧ください
山口百恵の息子、次男は俳優の道へ

山口百恵の引退後もCDやDVDなどが発売されて百恵人気は不滅です。


元女優で歌手の山口百恵さん。

山口百恵さんはわずか8年ほどの活動だったのにも関わらず
日本に与えた影響は限りなく大きかったです。
物凄い存在感でした。

昭和の歌姫 山口百恵。

そんな山口百恵さんの生い立ちは複雑でした。皆さんはご存じでしょうか?

山口百恵さんの著書「蒼い時」でも
書かれていますが、複雑な生い立ちでした。

というのも、山口百恵さんと父親との関係です。

山口百恵さんは愛人の子として生まれました。

父親には本当の家族があって、たまに会いに来るだけだったそうです。
でも、生活費はまったくいれませんでした。

優しい母親のおかげで立派な女性に育ちました。

山口百恵さんが芸能界に入るまで父親と言うことを隠していたにも関わらず
芸能界での活動が順調になると、「俺の娘だ」とギャラをむしりとる様なことまでしたそうです。

そんな複雑な生い立ちの山口百恵さん。
今では俳優の三浦友和さんと結婚して2人の男の子のお母さんになって幸せに暮らしています。

山口百恵の生い立ちの事実ではない部分


疑問に思ったときには,できるだけ原典に当たるのがよい。

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山口百恵の生い立ちの情報に関しては,まず山口百恵著『蒼い時』に当たるべきだと思う。

この自叙伝には,生い立ちも含め、下世話な暴露本の類よりも衝撃的な事実が書かれています。

自身の生い立ち、出生の秘密,たまにしか会いに来ない憎むべき父親,怖いオバサン(=本妻)……。

父と母は,いわゆる法律的に認められた夫婦関係ではなかった。父には,すでに家庭があり,子供もいた。

母を愛しはじめた時,父は母の父に「責任を持ってきちんとします」と言明したという。
だが,戸籍に書かれた娘たちの名前の上には「認知」という二文字が置かれている。(『蒼い時』より)

 デビュー当時には,これらの事実が隠され,ホリプロからは「幼いころ両親が別れ,父はいません」と答えさせられていたことが,生い立ちについての余計な詮索や妄想を生み,山口百恵の父親は韓国・朝鮮系だという説まで生じさせてしまったのかも知れません。

<山口百恵、その生い立ち>
 山口百恵は、1959年1月17日東京で生まれています。
山口百恵は母親とある男性との不倫により生まれた子で妹と二人姉妹でした。
その後、母娘は横須賀に引越し、彼女はそこで少女時代を過ごすことになりました。実の父親は頻繁に彼女の家を訪れ、娘たちをかわいがっていましたが、結局本妻と別れることはなく、一家の家計は母親が支えていました。女手ひとつで二人の娘を育てた母親の苦労を知る彼女は母親を愛する分、父親を憎むようになりました。

「私には、父はいない。
 一つの肉体としてあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する。
 あの人は、毎日夜になれば帰って来るという人ではなかった。帰って来るというよりは、やって来るといったほうがふさわしい人だった。」
山口百恵(著)「蒼い時」より

 後に彼女が歌手として有名になると父親は、彼女の事務所から勝手に借金をしたり、母親から親権を奪おうとしたりした末に彼女に数百万円の和解金を要求するなどとんでもない男だったようです。元々父親を嫌っていた彼女は、手切れ金としてお金を渡し父親との縁を完全に切ろうとします。
「金銭で血縁を切る。
 あの人の存在は消えたのではなく、自ら私の手で切ったのである。そのことに対して私は、いささかの後悔もしてはいない」
山口百恵(著)「蒼い時」より

 彼女は自ら歌手になる道を選び、あの有名な「スター誕生」をスタートに一気にスターへの道を歩み始めますが、そのことにより母と父との別れを決定的なものにしたという思いもあったようです。
「私が歌手という仕事を選択しなかったら、ごく普通の学校を出て、普通に就職した娘だったら・・・母やあの人の人生も昔のまま変化しなかったのではないかと。妻という形で世間に認められなくても、母は依然としてあの人を信じ、あの人の看病をしていたかもしれない。雑多な状況は別にしても、それなりに平和な四人家族でいられたかもしれない。・・・」
山口百恵(著)「蒼い時」より

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山口百恵は韓国人の父を持つ韓国系だと噂されていた事を知りビックリ!!

 生い立ちの正確な情報さえ知っていれば,なんといい加減な噂かが分かる。

「両親の離婚後は母方の姓を名乗り」とあるが,百恵の父親には別の家庭があり,百恵さんのお母さんはいわゆる妾さんである。離婚なんてありようがないのだから。

山口百恵の生い立ち、父親が韓国・朝鮮系ではないかという噂は,現役時代や引退後にもあったようで、発生源は複数あるようなのですが、確かにそのようなゴシップ記事がときどき流れたことを覚えている。

しかし,その発生源と思われる生い立ちの記事は,何らかの証拠に基づいたものではなく、「……という言っている人がいる」というレベルの記事なのだ。

結局、山口百恵は、正真正銘、日本人という事です。

山口百恵の生い立ち、子供時代



山口百恵にとって、子供時代の大切な思い出は、父と、子供時代に育った海の見える横須賀の町である。

山口百恵の父親は、籍の入った父親ではなかった。その父親には、本当の家庭が別にあり、百恵の家にはたまに来るだけであった。それでも、その家庭環境の中で、百恵が性格的にゆがんだ様子はない。

学友からいじめられた様子もない。母親の大きな愛の中につつまれて育った。

5つ年下の、同じ父親の下に生まれた妹もいたが、家庭は貧しいながらも、母親のお陰で、百恵は正直さを失うことなく育った。

「出生の秘密」を知ったのは、彼女が高校へ入学してすぐのころである。

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「すでにその頃、芸能界で仕事をしていた私の、ゴシップのひとつとして週刊誌が戸籍謄本を『出生の秘密』と題して掲載したのである。事実を知らされても、私は驚かなかった。そうだからといって、母に対する気持ちも、自分が現在生きているということに対しても、何も変わりなかった。それに、何よりも、私にはそれまで一度として引け目を感じさせてこなかった強い存在----母親がついていた。記事を読みながら、私は改めて母に感謝した」
「出生の秘密」がゴシップとして世間に暴露されることは、若い少女にとって、かなりショッキングなことであったはずである。人はちょっとしたことで動揺する。自分を見失う。山口 百恵は「出生の秘密」を暴露する大人社会の嫌がらせに対して、怯むことなく、それまで一度として引け目を感じさせてこなかった強い母に感謝した。
この「母への感謝」の気持ちには嘘がない。それが山口 百恵の強さであり、本性であると思う。

横須賀に関しては、山口百恵はこのように書いている。
「横須賀----- 誰かがこの名前をつぶやくだけで胸をしめつけられるような懐かしさを覚える。あの街は、私に優しかった。雨も海からの潮風も、陽ざしも、緑も、何もかもがさりげなく、私を包んでいてくれた。あの街で暮らしていた六年間の私が一番好きだった。

自由だった。
正直だった。

無理に突っ張ろうともせず、突っ張りもしなかった。必要がなかったのかもしれない。
自分の意識の中での私自身は、あの街にいる。あの坂道を駆け、海を見つめ、あの街角を歩いている。私の原点は、あの街---- 横須賀」

子供時代、山口 百恵は、貧しいながらも、母親の愛に包まれて、自由に、正直に育ったのだ。

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コメント 3

匿名希望

お幸せそうで何よりですね。
by 匿名希望 (2015-03-05 15:18) 

冬が覗いてる

友人宅でスタ誕見てたら、やまぐちももえさんで回転木馬、、、
--山口百恵ェ--\(◎o◎)/!

スター誕生を見た翌日?だったかな?いや冬休み中だったかな?
まぁ兎に角その後、学校中(入中)大騒ぎ!クラスじゃ何処? 山口は? あいつ転校したみたいよ、、てな感じだった 
先生と山口の身近な親友以外、皆知らなかった。
言い換えれば何時の間にか、、、後々担任の先生曰く、皆さん後存知の通り山口さんは云々説明会が、、、きっと中二の冬休み的タイミングと噂が恥ずかしくて、、かな?

歌手になっても、ひとりで入中の文化祭や体育祭の開催日とかお忍びで来てたりして、ひょうきんなやつだった。
(同級生在学中時)当時カメラって一家に一台。しかも親のモノってのが普通で、、
なので超高価な一眼レフ両手に写真部の奴らが山口の回りに群がってたりしてな石(^.^)川 もうケツは触れねーなーとヒトリゴト

当時デビュー前の山口は私服の赤いミニスカートがお気に入りで、それがとても似合っていた。
しかし私的に、山口さぁ骨盤張ってるしーとからかうとやっぱり-と山口
こことこれが、、そういい触れてもただ無邪気に笑う女の子だった
まぁ向こうは異性として見てなかっただけの事なんだが、、天真爛漫だね

若い時代はこんな事やあんな事、他にやる、する事に忙しくて、自分人生スーパー愉しく、思い出したりしなかったのだが、ジ様になってふと思い出した今日この頃でっす。

 







by 冬が覗いてる (2015-03-11 15:03) 

山口百恵は永遠

今はヘイトスピーチ規制法が制定されましたが、
今も昔も○○は韓国系朝鮮系だと噂する人々の、その醜い差別意識に呆れます。
山口百恵さんをそのように噂する人々は韓国系朝鮮系の人々への差別意識を持つ醜さ、
そして誰かを狭くカテゴライズしなければ安心出来ない哀れさを感じます。

何故、個人で見つめることが出来ないのか。
同じ東洋人に対してすらこのようなカテゴライズによる差別意識を持つのですから
白人の子供への差別意識は如何ほどでしょう。

個人には属性など関係無いのです。
by 山口百恵は永遠 (2016-06-25 06:24) 

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