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山口百恵のメイク

伝説の歌姫、山口百恵のメイクとは?



山口百恵のメイクについて…

 1980年というのは、とっても衝撃的だった年で、 山口百恵の引退が衝撃的な出来事のひとつに入るのですが、じわじわと喪失感となって実感して、ただ、「時代というものは移り変わっていくものだ」「蜜月の時代は、いつかは終わるものなのだ」 という世の習わしを強く感じます。
 
アイドルのメイク一つをとっても、時代の移り変わりを実感する。

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山口百恵はお化粧をするのはあまり好きではなかったそうです。
だから普段はすっぴんの時が多かったそうです。

まだ10代だった時、仲の良かった桜田淳子と付け睫毛だけはしないと誓ったそうです。
当時は今よりバサバサするくらいの付け睫毛を皆、付けていましたね。

付けなくても、綺麗ですものね。

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 山口百恵の引退から30年以上の年月が過ぎたわけですが、あの時代には 「時の濃密さ」 というものがあった。



 その濃密さ、という観点から山口百恵という女性のことを考えると、彼女が駆け抜けた8年間、というのは、まさに究極の濃密さ。 

初期の山口百恵のメイク



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山口百恵は、ちょうど 「青い果実」 あたりから、「愛に走って」 のあたりまで(要するに、初期の百恵チャン)は幼いメイクだったのだけれど、その後、彼女は眉毛を細く剃る傾向のメイクになったのは、 「パールカラーにゆれて」 あたりのこと。 同時に髪の毛をちょっとアップして、おでこを見せるような髪型になった時期がありました。

紅白で 「横須賀ストーリー」 を歌っていた時期のメイクです。 髪形も大人びた感じになっていました。

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 それから数年は、彼女は大人びたメイクになり、それが 「いい日旅立ち」 のころに、ちょっと昔みたいな、おとなしい感じのメイクに戻った。 「美・サイレント」 を歌っていた時期のメイク。 いま見ても、やはり素敵。

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 しかも以前と同じではなく、大人の魅力を兼ね備えた上品さを漂わせたメイクでした。

 そのメイク法は「しなやかに歌って」 あたりまで続いたのですが、「謝肉祭」 以降だったか、カーリーヘアにしてしまって。それから引退まで突っ走る彼女は、神格化されていく傾向のメイクにありました。

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山口百恵 引退コンサートのメイク



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 いまでも 「引退コンサート」 での山口百恵の髪型とメイクは凄く印象に残っています。

その存在感は、髪型とメイクから見ても、とても17や18の女の子と思えない。 山口百恵という人の顔の造形や、全体から醸し出される雰囲気を見ていて、とても心に引っかかるものが、大きい。

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 今のアイドルや歌手は、全く心に残らないことが多い。 引っかかるものが、ない。

 これがいわゆる 「オーラ」 というものなのかな、などと無責任に考えてしまうのですが、ハイティーンの女の子は、現代ではホントに、全くの 「女の子」 でしかないのに、彼女はすでに、 「女性」「女」 になっていた。

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  山口百恵には、いわゆる 「暗いアイドルをやらされている」 感がない。
 宇崎竜童さんは、彼女の意志で作曲の依頼が来た、ということを話していましたが、その事ひとつとってもそのことが良く分かる。

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 当時の他の歌手は、なんか 「アイドルをやらされている」 感覚が、常に付きまとっていて、今にして思うとその 「既成のアイドル像」 にぴったりハマっていた歌手にも魅力も感じるのですが、 「物足りなさ」 に直結していた気がします。

山口百恵は、CBSソニー。
 CBSソニーという会社は、南沙織サンの時代からすでに、当時としては最高レベルのセンスあるアイドルソングを輩出していた気がします。

 そんなセンスあるレコード会社だったからこそ、山口百恵は自らの意思によって驚異的なメタモルフォーゼを敢行することができたんじゃないでしょうか。

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アイドルのメイク、山口百恵のメイクは?



80年前半までの”若手”アイドルは、今のアイドルと違うのは、マスカラとつけまつげは使わないメイクというのが大きなポイント。
マスカラもつけまつげも性能も落としやすさも見かけも、目茶苦茶悪かった。宝塚の舞台化粧みたいなメイク。

賞レースで泣いちゃうと”黒い涙”が出て、後世まで揶揄される。

チークも頬骨に低い色目ブラウンやオレンジで少しのせる程度で、頬全体にピンク基調に全面的にのせる事はしないというメイク。

山口百恵さんに関しては活躍が70年代で、更に年少、活動時期大半が学生だったので、メイク法はだいぶ変わります。

学生の間、特に中学生の時はリップクリームにファンデ位のメイク。

高校生でも顔色が悪い時にチーク、口紅にする程度のメイク。

アイシャドーは高校終わった時から…ホリプロは学生服で仕事場に行かせ帰らせるので、シャドーは平日は強い色はしない。
アイライン入れたのも19歳♪絶体絶命、の頃「夜のヒットスタジオ」で司会者にメイクを指摘されてました。

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山口百恵の専属のヘアメイクさん



この頃から少し後かな?
東京でお仕事の時、時間があえば、ヘアーメイクを在京の美容師に頼むようになりました。
布施明さんとかのヘアスタイリストで、百恵さんの武道館ファイナルコンサートや、その十日後正式引退日のパーティーやその記者会見でのヘアーメイクはその方によるものだそうです。

一年位前に検索したら都内に何店もお店構えるやり手社長、カリスマ美容師になっていました。

山口百恵のメイクはナチュラルメイク



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60~70年代は欧米に倣い、厚化粧が流行っていた。
80年代に入ると、薄化粧の「ナチュラルメイク」こそ、東洋人の自然な美しさを引き立てる事ができると分かり、メイクは益々、大衆化したのだ。

山口百恵のメイクは当時の女性の憧れの的だった。

今日も山口百恵に関連する動画を見ていた。

この人の視線はすごい。存在感が半端ない。

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AKBが48人いる意味がわからない。AKB48人全員いてもこの人の存在感には負けてしまうだろう。

冷たくてどこか哀愁が漂っていて、なのに強くぶれない熱いものを感じる。

カリスマ性というのはこういうことなんだと思う。

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山口百恵の歌う歌詞はとても艶やかで、刺激的なのに品がある。

「日本の70年代は山口百恵の時代」とし、「80年代初めにテレビドラマ『赤い疑惑』が中国で紹介され、当時中国の白黒テレビ時代、最も感動的なラブストーリーとして全中国を虜にし、中国の若い女性はその清純なショートカットにあこがれ、最先端ファッションとして認知された」という。

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最先端をゆく現代美術ギャラリー山口百恵写真展で、篠山紀信は、「山口百恵」をポップアートとして復活させた!
『山口百恵|篠山紀信』写真展。

今、写真は現代美術としての評価が高まりを見せている。

山口百恵のメイクの現代美術



波のうねりに、篠山紀信が乗せてきたものは、「山口百恵」だった。

2010年時代の節目に立って、ウォーホルが編み出したポップアートの手法、つまり「芸術に大衆を取り込む」ことを深化させて、「大衆と芸術の垣根をなくす」ことだと確信したのだろう。

その時、70年代の日本を象徴していた「山口百恵」を現代ギャラリーに陳列することの必然をつかみとったのだ。

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展示では、作品は売られていない。

1773(昭和48年)年7月10日、山口百恵はセーラー服姿のまま篠山紀信の前に現れた。

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14歳中学3年生だった。

前の年、オーディション番組『スター誕生』で認められ、デビューしたての時だ。

この時から山口百恵と篠山紀信との7年3カ月におよぶコラボレーションがスタートした。

翌年「あなたに、女の子のいちばん、大切な、ものをあげるわ~♪」という衝撃的な言葉ではじまる『ひと夏の経験』が大ヒットし、その曲で紅白紅組トップバッターとして初出場し、大スターに一気に駆けあがる。

ジャケット写真はもちろん篠山紀信。それ以降のアルバム、シングルのほとんどのジャケットを撮影した。

山口百恵は、1979年3月30日夜8時の「NHK特集『山口百恵 激写/篠山紀信』」でこうモノローグしている。

「歌手とか、女優とか、そういう呼ばれ方にあんまりこだわりたくないっていう感じがするんです。なんて言うんだろうな、もっと違った、人間として、歌を歌っていきたい、演じていきたい、それだけなんです。」
この「人間として」と言い切る山口百恵。

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14歳でデビューした山口百恵には、彼女の生い立ちを秘めた「人間」がその芯にある。

「人間として」表現者でありたい、という彼女の心情は、その歌にもそのまま現れていた。

すべて等身大の自分を歌った歌手だった。

篠山紀信は、山口百恵との初対面から、「人間・山口百恵」を撮り続けた。

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「山口百恵には、日本の伝統的なスターの要素である、かげり、ふてぶてしさがある。

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今の女性にありがちな流行や風潮に埋没しない個性がある。世界に通用するスターだろう。

スターやヒットメロディーは、タイムマシーンの役割を持っていて、将来、振り返って70年後半から80年代のはじめを思い出すとき、彼女にかこつけるだろう。

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多分その頃は、今より時代が悪くなっているから、あの頃はよかったという形で思い出すだろう。

最後の黄金時代だった、と振り返るであろう。

「時代が山口百恵を必要としていた」
流行語ともなった「時代と寝た女」

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「時代と寝る」写真家だけが見た、本物のスターの姿なのかも。



1980年10月5日、日本武道館で最後のコンサートを涙で歌い終え、マイクを置いて、舞台裏へと去っていった。

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